ボリビア旅行記 ラパス〜オルーロ〜ウユニ

早朝、ラパスに着陸。世界で最も高いところにある国際空港で、標高4,000メートル超らしい。息を切らすようなことをしないように注意していることもあってか、とりあえずまだ高山病の症状はなし。

入国審査後、出口でガイド氏と落ち合う。予想はしていたが、前回ペルーのときと同様、日系人の方。出口付近の両替所があり、ガイド氏の薦めで、50ドルくらいをボリビアーノに両替。外に出ると小雨で肌寒いが、真冬の日本からやってきて、違和感はなかった。ラパスは真夏(雨季)だが、標高も高いため、たまたまギャップが少なかったのだと思う。駐車場でドライバー氏に会う。日系ではなく、ウユニ出身の方とのこと。早速、オルーロに向けて出発。車内では、(アンデス音楽好きの私に気を遣って)Kjarkasの曲をかけてくれる。ちなみに、トイレ休憩でガソリンスタンドに寄ってくれたが、この国、トイレ事情は相当悪いかも、と思った…。


途中のドライブインで朝食。牛肉とたまねぎの炒め物、目玉焼き、じゃがいも、オン・ライス。パラパラ米だけど、普通にイケる味。

お昼ごろ、オルーロに到着。車が中心部に近づくにつれ、露店やダンサーの衣装を準備している人が目に付き、カーニバル色が強まる。


鉄道駅の近くで車からドロップさせてもらい、パレードのメインストリートに徒歩で移動。段々とブラスバンドと太鼓の大音量が聴こえてきて、自分がそれなりにかかわってきた音楽のナマのものに触れて、(まだパレードを見てもいないのに)感動。パレードの通りの両サイドには、高さ5メートルくらいの観覧席がビッシリ組まれていて、席を確保しない限り、パレードは見えない感じ。

ガイド氏がケータイで観覧席売りと連絡を取ってくれて、空き席のあるやぐらに到着。日が出て汗ばむ暑さの中、けっこう歩いたので若干気分が悪くなる。軽い高山病か。作りに若干不安のあるハシゴをさあ登れと言われて、ビビりながら上に。

やぐらの最上席から、ガイド氏の解説付きでパレード観覧。Caporales、Tobas、Saya、Diablada、Morenadaのチーム・バンドがほとんどで、他の形式は見なかったかも。Caporales、Tobasはやはり近年とても人気があるそう。自分は、MorenadaとDiabladaはオルーロの音楽かと思っていたのだけど、ガイド氏いわく、Diabladaはそうだが、Morenadaはラパスのグランポデール祭りのもの、とのこと。そうなのか。KjarkasのOruroという曲に引っ張られて誤解してたかな。

Caporales

Tobas

Saya

Diablada

Morenada

パレードを見ながら、ガイド氏から昼食の支給。おにぎり、鶏唐揚、きんぴらゴボウ、玉子焼き、コロッケ、焼魚、漬物、という完全なる日本食のお弁当。6年前のペルーのときも日本食弁当が一回出たなぁ。日系ガイド/ドライバーだと慣例なのかな。安心の味を完食し、気分も少し回復。

15時前に席を立ち、ウユニへ出発。途中、河原にアルパカの水飲み場みたいなところがあり、休憩がてら写真撮影タイム。空が広い、そして、とても静か。



オルーロ〜ウユニは、途中から悪路(舗装がない)とは聞いていたが、確かに悪路。スピードが一気に落ちる。川を車のまま渡る箇所もあり、ビックリする。人道橋はあるんだけどな…。まあ川といっても、雨季で前日に雨が降ると水が流れてるけど、それでなければ干上がるような感じみたい。

ウユニに近づくにつれ、夕日で雲が赤く染まり、とても美しい。見渡す限り人の気配はなく、自分たちが乗っている車1台だけが動いている状況であり、自然の雄大さ、人間のちっぽけさを否が応でも感じる。


天気が悪くなってきて雷が鳴り始めたが、車のヘッドライト以外に光はなく、闇の中に雷光だけが浮かび上がる。

ウユニ村のこぢんまりしたホテルに到着。チェックインし、ガイド氏と別れる。ホテルの夕食では、高山病を懸念して控えていたビールを解禁。パセーニャビール。メニューは、スープと、牛肉、じゃがいも、野菜のソテー。スープは疲れた体に染み渡るように美味しい。牛肉は、、、前にペルーで食べたときもそうだったけど、やっぱり大味で硬く、イマイチ。日本で食べる牛肉のいかにやわらかくて美味しいことか!



部屋で、待ちに待ったシャワー!と思いきや、お湯が出ない…。疲れも限界の状態で、英語の通じない女将さんにクレームを入れなきゃいけないかと思うとゲンナリ…。でもお風呂には入りたいので、気持ちを奮い起こして女将さんのところに。英語で伝えようとするがやはり全く通じないので、身振り手振りしつつ片言のスペイン語で、アグア、エス、ノ、カリエンテ!みたいに単語を並べる。なんとか伝わったようで、部屋脇のボイラーをチェックしてくれる。種火が消えていたようで、ろうそくとマッチで火を点けてくれた。その後もすぐにはお湯が出なかったりで女将さんの部屋と往復したが、最終的には熱いお湯のシャワーを浴びることができた。そして、かれこれ約60時間ぶり(!)のベッドで、倒れるように眠る。